united by emotion

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」

 

マヒトゥ・ザ・ピーポーが「反戦集会」を行うと知り、人がたくさん参加するだろうなあ盛り上がるだろうなあと思い、しばらくしてからふと、「コロナ対策は?」と気になった。戦争を前にコロナも何もない、と言われてしまえばそうなのかも知れないけれど、この間おそらく大勢が集まって何かをすることを控えていた人もいるだろうと想像し、ならばコロナ禍であって許される集会、許されない集会は誰が決めるんだろう?と疑問に思ったのだ。時代の空気?マヒトゥは決して悪くないけどもやもやする。そんなことを昨晩考えていたら、上に引用した第3章第21条を思い出したのだ。忘れていたけれど国は憲法に抵触しないように集会を「禁止」はしていないんだよね、あくまで「お願い」しかしていない。イベントや集会について明文化されたものを探したのだけど、屋外で開催されるものについてはよく分からなかった。国から要請はされていなくて、結局私たち国民が空気を読んで「自粛」していただけだったのだろうか。戦争とコロナ対策と、優先順位を決めるのは誰なのだろうか。リアルタイムで知ることができる戦争に飲み込まれて、色んなことが有耶無耶になったりあり得ないことが起こったりするのが恐い。「変な英語」と話題になった2021年東京オリンピックパラリンピックの大会モットー「united by emotion(感動で、私たちは一つになる)」を思い出す。東京オリパラのときは知らないけれど、今こそ世界がemotionでunitedされているように感じる。辛い状況を前にマスコミが報じるニュースも感情的になっている。世の中が感情に誘導されるのが恐い。自分の心は結局ことばにまとめられなかったのだけど、去年のフジロックは開催直前、ネットを中心にいろんな意見が飛び交って非常にエモかったと思う。アーティストから発せられるコメントは生々しくて感動的だった。感動は多くの人を動かす。感動的なニュースは人の心を動かす。そうやって「感動」に感情を支配されてしまえば、もしかしたらいつか「自国を守るために武器を持とう」という呼びかけに乗ってしまうことにつながるのではないかと不安に思うのがただの杞憂だといいんだけど。戦争反対。だけど私はミッドサマーの世界に生きていないから、感情じゃなくて理性で抵抗したい。