雑記

3/25(日)朝から犬、子を連れて大好きなカメラマンさんのスタジオへ。念願の家族写真を撮ってもらった。犬は落ち着いていて、子は最後まで泣かなかった(寝落ちした)。初めてのことでドキドキしたけど楽しかった。カメラの前で自然に笑える自分が嬉しかった。夕方、久しぶりに近所の銭湯へ行ったら朝掘りのタケノコが売られていて、所持金(持参金1000-入湯料460=540)で買えるなかで一番大きなタケノコ(500円)を買って帰った。

 

3/26(月)翌朝に炊き上がるようにタイマーを設定して、昨晩炊いておいたタケノコで、タケノコご飯を作った。

 

3/27(火)朝、タケノコごはん。上手にできた。午前中は犬、子を連れて隣町の大きな公園へ。ゲートボールを楽しんでいた年配の人たちが、ベビーカーで寝ている娘を覗き込んで優しく微笑みかけてくれた。広い公園、のんびりした散歩、トイレの入り口には昨年と同じようにツバメが巣を作っていた。午後、犬を狂犬病ワクチン接種に連れていく。テレビで観るような防護服を着た市職員さんが、慣れた手つきで犬のお尻に注射を打ってくれた。コロナ禍という非日常が続くなかでも、安全に気をつけて検診を実施して赤ちゃんの健康を守ったり、例年通りに狂犬病のワクチン接種をしてくれることが本当にありがたい。

 

 

ここ数日、日常的にマスクを着用してはいるものの、毎日が穏やかすぎて、同じ国の一定の都府県でコロナ感染が拡大していることが嘘のように感じる。でも実際は、昨春以来、気軽に県外の実家に帰省できない。海外旅行どころか国内旅行もままならない。近所のお気に入りの居酒屋にも行けていない。今年のフジロックが本当に開催されるのかどうかもわからない。海外アーティストは来日公演をしなくなったし、東京に暮らす友人にも会えていない。どこかで今の状況に慣れてしまっているところがあると思う。

 

国内の新型コロナウイルスによる死者数が1万人を超えた。2021年に入って以降、加速度的に増える、亡くなる人の数。日本で初めて新型コロナによる死者が出たときに、私たちは震え上がって、この見えないウイルスの脅威に怯えていたはずだったのに。死者数が100人になり、1000人になり、10000人になった。決して慣れてはいけないのに、これが「見慣れた光景」、「聞き慣れたニュース」になっている気がする。

 

本当は普段の生活で「国」なんて意識したくないけど、海外旅行に行こうとしても、「日本政府」が国民へのワクチン接種を進めていないし、「日本人」として海外へ自由に渡航するのが難しくなっている。私がディズニーランドに行こうとしたとて、地方では「東京へ行く」ことがリスクだと思われているから、やっぱり自由な移動がままならない。「日本」全体として、感染者数が減らない限り、このコロナ禍は終わらないのだ。さて、じゃあ一国民として「日本」の感染者を減らすためにできることとすれば、国の方針に従い、自分が感染するリスク、自分が他者にうつす確率を減らすことなんだろうけど、肝心の国の方針がわからない。大きなビジョンがわからない。いつまでに、どんな状況に持っていきたいのか。どの程度の犠牲を想定しているのか。国が犠牲者(新型コロナによる死者)が出ることを「やむを得ない」と思っているかそうでないかは、結果を見れば明らかだ。ニュージーランドでの死者数は26、中国での死者数は4600、「可能な限りコロナによる犠牲者を減らす」姿勢が伺えるけど、日本政府の対応を見ていると、「パンデミックの最中において、経済を動かし続けるには多少の犠牲はやむを得ない」と考えているようにしか見えない。経済って、人が動かしてるんだぞ。経済のために人が犠牲になるなんて、どう考えたって狂ってる。

 

我が家ではBBCを契約していて毎日観てるんだけど、昨年の秋頃までは毎日、世界各国の厳しい状況(医療崩壊、ロックダウン)が悲壮感を持って伝えられていたのに、ここ最近は先行きの明るさを感じさせるような雰囲気になってきた気がする。去年よりも状況が悪くなっている日本って、一体なんなんだろう。この一年の我慢は、努力は一体なんだったんだろう。購読している朝刊をひらけば「本日の聖火ランナーのルート」が紹介されていて、「大阪 医療崩壊」の惨状が伝えられていて、オリンピックの中止を訴える人の声が載っている一方で、オリンピック選考大会での選手の華々しい活躍ぶりが讃えられている。頭がおかしくなりそうだ。

 

義理のお父さんは、私たちの赤ちゃんに一度も触れたことがない。最初は「首が座るまでは怖くて抱っこできないなあ」なんて言っていたんだけど、最近は「念のため、ワクチンを打ってからにしようかな」なんて言いながら、少し距離をおいたところから、孫を愛おしげに眺めている。安心して赤ちゃんに触れられない。マスクを取った顔を見せてあげられない。ワクチンをいつ打てるのかもわからない。そうしているうちに、どんどん子は成長し、私たちは年を取っていく。

 

気が狂いそうになる毎日が続いていて、まともに取り合っていたらやってらんないよって気持ちにもなるんだけど、だからと言って考えるのをやめたり、この状況に慣れてしまってはいけない気がする。「募集してない、募っただけ」という答弁がまかり通ってしまった頃から、政治家の理解できない発言が繰り返され、到底容認できない行動が散見されるうちに、どこか諦めと同時にまともに取り合うのをやめたり、「これが日本政府だから」と黙認してしまうようになってきているけど、誰もが声をあげることを辞めてしまったら、一生この蟻地獄から抜け出せないと思う。

 

とりとめもなくなりましたが、今の感情を忘れないようにしておきたくて。4月28日の備忘録。