日記

航空高石川の「マスクフリー」卒業式の件。高校生の頃、同じクラスでもなければ同じ学科でもない、全く関わりのなかった男子に目をつけられてさんざんキモいやら死ねやら直接言われたり自作ホームページの「日記」に書かれたりしていたので思春期特有のマスク心地良いみたいのもわかる気がして、マスクをつけてるから気がラクだった子だっていただろうし、だからこそ「マスクを外す」同調圧力みたいなものを想像しちゃって全然無理。しかもマスコミが散々ポジティブな出来事として伝えているが、気になったのが例えばツイッターでこの出来事を扱った記事に対する引用リツイートやリプライなどを見ていると「子どもはマスクなしが一番!」とか「これまでが異常だった!子どもたちに笑顔が戻って嬉しい!」とか反応しているのって観察している限り大人だけなんだよね。勝手な解釈にもほどがある。おい誰かこのなかの一人でも当事者である学生に意見を聞いたのかよ。例えば中日新聞の記事(マスクフリー 笑顔満開の門出 日本航空高石川、大学校が卒業式:北陸中日新聞Web)のなかで学生のひとりが「コロナ禍で行事がつぶれたことも多かったが、最後にみんなの顔が見られてよかった」と話していたが、たとえ授業中はマスク着用を推奨されていたとしても、放課後になればマスクなんて自分の意思で外していいし相手の顔が見たければお互いの判断でどうとでもできるのに意味わからない。今日は天気もよかったので家族で金沢21世紀美術館(21美)までお出かけした。最近、娘が「あそびいこ!」って言うのがかわいい。21美の友の会(会員)は家族で4500円/年というお得さで、これで一年間、基本的にどんな展示も見放題なので最高。館内が混雑していたからゆっくり観られなかったけど気になる作品があって、せっかく友の会に入っているのだし、今年は定期的に時間を作って美術館に足を運びたいと思った。これまた久しぶりにミュージアムショップをのぞいたら「途中でやめる」の服が置いてあって、かれこれ数年前から気になっていたので迷わず購入。のだけど、そういえばちょっと前に途中でやめるを苦手になったことがあったような気がしてなんでだったっけと考えていたんだけど主宰のひとが東京都内のある駅で(勝手に)撮影した女性の後ろ姿の写真をツイートしていて、無理と思ったのだった(さっき思い出した)。「アート無罪」という言葉があるが作品無罪っていうかそこまで重罪かと言われるとそうでもないと思うけど自分が同じことされたら嫌だし絶対に自分はしない。服はかわいかったし春になったら一枚で着るのが楽しみだ。それはさておき。昼はバイト先に行ってご飯を食べた。わたしのバイト先は従業員に限らず子連れ超ウェルカムでめちゃくちゃ子どもを可愛がってくれる。たくさん話しかけてもらってお菓子ももらって大満足の娘。外食先なのにくつろげて気を遣わなくてしかも子どもを可愛がってもらえるのがすごくありがたくて、家のほかにも居場所ができたような感じがして嬉しい。週末らしい週末だった。このあいだ久しぶりに県立図書館に行ったとき、「生き方を考える」みたいなコーナーに見覚えのある名前を見つけて借りてきた「はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言」。いっときタバブックスの「仕事文脈」にハマって購読していて、そのとき栗原康さんの文章を読んでめっちゃ面白いと思った記憶がある。当時から自分は変わっていなかったようで「はたらかないで、たらふく食べたい」を毎晩たのしく読んでいる。