ここ数日気になっていること

どうしても気になって、消すかも知れないけれど一応書いておく。ここに登場すること、人全て否定するつもりはない。派生して考えを巡らせたら取り止めがなくなっただけ。とある高校生向けの起業ワークショップ的なイベントを見学させてもらう機会があった。(参加した高校生は半数以上が女性で、そのことに関心すると同時に、二日間にかけて行われるイベントで登壇する起業家計4名は全員男性でバランスの悪さを感じた)内容は今自分が気になること、解決したいと思っている課題などを「どんな人に、何を、いくらで売るか」を考えてビジネスモデルとして発表するというものだったのだけど、そのなかで熱心に自分のアイディアを紙に書き込む女性がいた。彼女の問題意識は「高校教員の負担を減らしたい」というもので、部活動や必ずしも先生がやる必要がないテストの丸付けなどを外注することによって、教員の残業や休日出勤を減らし、ひいては授業の質向上につながらないかというものだった。その子の気持ちはめちゃくちゃ分かる。休みもなく、プライベートを犠牲にして働く先生たち。「#教師のバトン」で話題にもなったように過酷な労働環境が指摘されている。(WEB特集 「子どもたち、ごめんね」 “#教師のバトン”は、いまどこに? | 教育 | NHKニュース)それを、自分が起業することによって学校で働きたい(バイト含む)人と学校側のニーズを結びつけたいということだった。私は話を聞きながら、「こども食堂」と同じものを感じた(「こども食堂」はそもそも行政の支援が足りていないから子どもがご飯を食べられない状況が発生しているのであって、子ども食堂を作ることが問題の解決になるのではなくやむを得ずに行われているのであって、行政が子ども食堂を支援するとか、連携するというのもそもそもおかしいのではという指摘を以前読んだ)。世の中にニーズがあるけれどサービスが提供されていないものを見つけて起業すること自体が間違っていると言いたいのではない、でも、まず「自分で解決しなきゃ」となる前に、政府が役割を果たしているのかを疑う必要はないのだろうか?業務の一部を民営化することが「解決」のためのたった一つの方法なのだろうか。「SDGs」同様、国ではなく個人に責任があり民間で解決すべきという風潮が気になって仕方がない。もう一つ、その高校生のビジネスプランに対して起業家が注目して「私立の部活動だったら実業団をスポンサーにして本格的な指導を受けられるようにするのもいいのでは」とアドバイスをしていた。高校生は自分には思い浮かばないアイディアだというように目を輝かせていたけど、私は力(資金力)のある私立校と公立校の格差が広がるだけではと思って気になって仕方がなかった。なんていうか、あまりに「国」の責任や役割が忘れ去られていないだろうか。以前、海外在住の人が「気候変動のような大きな問題は個人で解決できないから国に直接訴えかけるために若者がデモを行っている」といった内容を発信しているのを読んでなるほどなあと思ったのだけど、それと真逆をいくような日本の姿である。企画の趣旨が起業なのでそれを責めることはできないのだけど、色々と考えさせられた。