七転八起

「自称・発達障害」っていうのもなんかいやなので自分の特性に納得するために思い切って去年お世話になった発達障害支援センターの担当者さんに「やっぱり診断を受けたいです」と連絡をしたのが先月末のこと。そうと決まれば話ははやく、「ではまずご本人と親御さんにはこちらの事前問診アンケートに答えていただきますね、知能テストの日程を決めましょう、その一週間から二週間後に結果のご説明をして、六月の初旬に専門医との面談日を設けます」といったかんじで、トントン拍子でスケジュールが決まった。今日受けることになっていた「テスト」については詳しく内容を伝えられておらず、前回担当者と会ったときに「なるべく正確な結果を出したいので、事前に調べて対策などしないでくださいね。ネットとかで調べても出てこないと思いますが」と言われていたので、前日から妙に緊張したのだけど、いざ挑んでみるとなかなか楽しいものだった。色のついたブロックでパズルをしたり記号を複写したり数字を暗記したり暗記した数字を計算したり言葉のテストをしたり。笑ってしまったのは自分が「銀河鉄道の夜の作者は?」と聞かれて「なんでしたっけ、岩手県出身の、みや、みや、、、、、」と記憶迷子になって答えられなかったことと、「七転び八起きの意味は?」の質問に「七回転んでも八回起きること以外に何か意味があるのか?」と疑問を抱き「わからないです」と答えてしまったこと。そのほかにも見たことはあるけど読み方さえわからない四字熟語の一覧みたいなのを見せられて順番に意味を答えていかなきゃいけなかったんだけどふつうに「このページにある言葉ぜんぶわかりません」とか言っちゃったりしてわたしの一般教養のなさが露呈した。こんなんでライターとか文章に携わる仕事してるのやばいなって心の中で思っていたらテスト終了後に担当者から「でも、ライターのお仕事はされていますもんね」となぞのフォローを受ける。そうだよだって普段原稿に「七転び八起き」とか書かないしべつに夏目漱石宮沢賢治徳川家康も出てこないじゃん?ということで無事テストも終了し、次回は結果を聞くことになっている。テストが終わった瞬間ポジティブモードに切り替わり「IQ200あったらどうしよう」ってわりと本気で思っているのだがたぶんIQ200あるひとは「東京から見てソウルはどの方角にありますか?」の質問に「どれくらい細かく答えればいいですか?東西南北くらいでいいですか?」とか聞き返さない。ちなみに私が受けたウェクスラー式知能検査(WAIS)というものは「上位2%の IQを持つ人達が参加する国際グループ」メンサの入会条件の一つにもなっているらしくメンサ入れるのやばいなって妄想したけどやっぱりIQテストで良い結果が出ることが前提になっている自分の自信が不思議だ。余談だけどクオラで見つけたメンサ会員によるアンサーが面白かったから引用しておきます「ひょっとしてMENSAはIQ高いやつらで特権階級とか思ってらっしゃいますか?全然違います。大体MENSA会員はIQが高いだけのマイノリティです。マイノリティは基本的に地位が低いです。一方IQが高くて上手く世間を渡れている人間はあまりMENSAに馴染みません。受験とかも効率的な勉強よりもマニアックな学問を追求する人たちなのです。むしろどうでもいいことを気にしすぎて道を外している連中ばかりです。MENSA内の鉄板のネタは、幼少時代の教育への不満です。大体日本の教育制度に馴染めず、大なり小なり嫌な経験をしています。そんな連中は日本社会で順調に出世できません」。(https://jp.quora.com/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%83%90%E3%82%AB%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%8B-%E6%89%80%E8%A9%AE%E3%81%AFIQ%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%9E/answers/374299777

 

知能テストを受けたという経験自体が自分的にめちゃくちゃ面白くってバイトのあと仕事の打ち合わせまで時間があいたのでone one ottaに行ってさやかさんに話きいてもらお〜って思ったら私が入店したあとあれよあれよと席が埋まってそこに居合わせたひとたちとお話ししてたんだけどどうしても知能テストの話がしたくてでも発達障害が云々とかから説明するとややこしいし色々端折って右隣に座っていた東京事変のギタリスト・長岡亮介をリスペクト(?)している初めて会ったお兄さんに「今日ある知能テストを受けてきて、、」って切り出したら怪しさ倍増で「謎の秘密結社の入団テスト!?」と笑われて「秘密結社ではないけどある肩書きみたいなものを得るための…」と濁したらさらに怪しさが増してしまったけどお兄さんは江戸幕府を開いたのは徳川家康と知っていたし夏目漱石の代表作も答えられるし銀河鉄道の夜の作者はもちろん宮沢賢治だと知っていた。で、そこに居合わせたまた別の、連続テレビ小説に出てくる登場人物のようなおしゃれな服装をしたお兄さんから「どんなものを書いてるの?」と聞かれたんだけど、ほとんどがクライエントワークなのでわたしの文章はこれですと言えるものがない。こういうやりとりはたまにあってその度になんて答えたら良いのか迷っていたんだけど、ふと思い立ちとりあえず気に入ったブログを印刷してみたら意外と悪くなくてzineだなんだと言っていたけれどとりあえずこれもアリなんじゃないかと思った。フリーペーパーもしくは印刷代くらいはペイできる感じの価格はつけられるのではないか?とか。...........一度は思ったのですけども、時間をあけて読み返してみるとなんとも普通というか、世の中には等身大の言葉で書かれた等身大のブログのようなエッセイ集もあるし、私が良いと思えばそれで良いと思うのだけど本当にこれでいいのだろうか人様に読んでいただけるのだろうかとだんだん自信がなくなってきて今に至る。つってもブログを毎回書いて公開しているというのは自分のなかである一定の水準を満たしてはいるのだが。たまたま昨日取材した、ある分野で世界一の称号を獲得した人の言葉を思い出す。「魂ですよ、魂。創作をしていると、結局は自分の弱さと向き合うことになる。その弱さとは何か。”これくらいでいいんじゃないか”っていう妥協なんです。でも、その弱さと向き合って、いまより少しでも良いものを、少しでも良いものをと繰り返していく。そうすることで、自分の弱さに打ち勝つことができるんです」。私の文章に、書く姿勢に魂は込められているか。