日記

ブログ、左手で書いています。私はスノーボードは右足が前(俗に言う「グーフィー」)、スマホは左手でしか操作できない、赤ちゃんを抱っこするのは左が頭(逆だったかも)という世間一般の人とはいろいろ「逆」で、よくわからないけど人類のほとんどは赤子を抱く際自然に頭が右にくるように抱っこするらしく、私が頭が左にくるように抱っこしているのを見た夫は「こんなところまで人と変わっているんだ」と言っていた。人のことは知りませんし私にとってはふつうです。しかしなんでだろうね。

 

お知り合いとランチ&お茶をしてきた。お茶のあと歩きながら話してて、ツイッターの話題になり、わたしよりも10年くらい前に母となったお知り合い、「今となってはほとんど見ないけど、わたしも子どもが生まれたばっかりの頃はよくツイッターよく見てたよ。その頃は授乳中っていうのを「授ニュー(new?)」って表してて」って教えてくれて、わたしは散々ツイッターのことバカにしたりやめたいとか言ったりしてきたが(ツイッターで出会った人に恋した頃もあったのにね)、話を聞きながらそういえばいちど離れたツイッターに私が戻ってきた理由も妊娠出産だったなあと思い、なんだかんだツイッターに助けられた人生だったと振り返った。妊娠中も産後も、それこそ本当に必要としているリアルな「情報」ってツイッターでしか手に入らなくて、不安を吐き出す場所も弱音を呟く場所もツイッターにしかなかったから。ツイッターで出会ったママ友たち、たぶん私が「リア友」には見せない私の弱音を嫌な部分を一番知ってくれている。ツイッターで妊娠や育児について検索しているといろんなツイートがヒットする。夫のDVを打ち明ける人、孤独な育児に心折れそうになっている人、子どもを産まなければよかったと後悔している人、子どもができずに悩んでいる人、義母とうまくいっていない人、離婚を検討している人、キャリアを諦めた人、お小遣いが減った人、子どもを上手く愛せない人…。そういう人たち、決して彼女たちは私と「別」の存在ではなく限りなく地続きにあるひとたちの居場所が安らげる場所が唯一愚痴を吐ける場所がそこであったとしたら、ツイッターが「終わる」ことは何をもたらすのだろうと思ってちょっと不安になったりした。

 

夜。保育園で昼寝ができなかった娘はとにかく機嫌が悪く、お風呂もやだお着替えもやだお布団行くのもいやだ、ソファの上でママにくっついて横になりながらテレビ観てたいの!って我を貫き通し、よってわたしは本当に何もできなくて、ああ本当にお金がない、一人旅に行くお金もないし新しい下着を買うお金もない。ディズニーランドにも行けないし気分転換に新しい服を買う金もない。32歳働き盛り、ほしいものもたくさんあるし行きたいところも経験してみたいこともたくさんあるのにとまじでしょうもない気持ちが押し寄せてきて胸がいっぱいになり「ケニアに行けますようにケニアに行けますように」と願いながら宝くじの「クイックワン」(オンライン上で購入してすぐに結果が出るやつ)を以前当選した残金で1,100円分購入したものの何一つ一円たりとも当たらず虚しさがキャパオーバーした。神様はいないしコツコツ貯めるほどの根気もない。一生懸命働きたくないっていうかそれなりに働いてるんだからもう少し余裕ができてもいい気がするのだが。人生でこんなに「お金ない」って感じてるの高校生以来のことで(たぶん)、無駄に同世代でバリバリ稼いでる人のことを想像しちゃったりしてほんとさいきんメンタルが最悪。