日記

昔から誰かに注意されたり叱られたりしたとき「反省」の様子が相手に伝わりにくいようで、「本当に反省してる?」ってさらに怒られたり、「反省」の色を示すまで(人によってそれは泣くことだったり落ち込むことだったりする)しつこく何度も同じ話を繰り返されることがある。わたしは、たとえば仕事上で何かミスをしたり人に迷惑をかけたとして、私にできることは「同じ誤りを繰り返さない」ことであり、正直言って原因を考え、説明させられることなんて無意味だと思っている(だって「なんで忘れたのか?」とか「なんで間違えたのか?」なんて考えたって仕方がないじゃないか)。世の中のルールを解っているひと、世渡り上手なひと、いわゆるふつうのひとはことを大きくする前に手っ取り早く「反省」のポーズを取り、しばらく落ち込んだふりとかをしてやり過ごすのだろう。だけどわたしは、その反省のポーズを求められることが耐えられない。落ち込んでいないのに落ち込むふり、大したミスじゃないはずなのに「やらかしてしまった」「私めちゃくちゃ反省してます」みたいな大袈裟な反応をすることができない、いやしたくなくてしないのだ。Xで相互フォローさんがジャニーズ問題について「どのあたりが落とし所なんだろ」と呟いていた。私が気になるのもそのことで、マスコミが一生、経営陣(主犯者は他界している)に対して「反省」を求め続けているのが馬鹿馬鹿しく思える。あなたたちがのぞむ「反省」とはなんですか?誰かが首を吊ることですか?本当に反省したいのは自分たちじゃないのか。そんなんだから政治家が「責任を痛感」とか言って事態をやり過ごそうとする。自ずと生まれる反省には何かしらの意味があるだろうが、他者に促される反省など、「反省」を求める側のマスターベーションに過ぎない。