パラレルワールド

今回の4都府県に対する緊急事態宣言に伴う休業要請への様々な反応をTwitterで見ていた。「#文化芸術は生きるために必要だ」というハッシュタグを付けたツイート。それから「映画館で話したり、書店で話したりしている人はいないから休業要請の対象に入るのはおかしい」という怒りの声。おっしゃる通りだと思った。映画を観たり書店で本を選んだりしながらおしゃべりしている人はまず見かけない。休業要請の対象に入るのはおかしい。文化を殺す気か。同じように思う人は多いようで、そのツイートにはたくさんのハートが付いていた。ふと思い出した。ちょうど丸一年前の、全国的な緊急事態宣言。パチンコ店が、行政によって晒しあげられ、人々のスケープゴートになっていた。石川)県が2パチンコ店名を公表、マスク購入券は郵送へ [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル   私はパチンコをしたことはないけど、パチンコ店に(トイレを借りるために・・・)入ったことがあるので大体の雰囲気はわかる。みんな、黙々とパチンコ台に向かって球を打っている。友人同士で遊びに行く場所なのかどうかはわからないけど、複数人で会話をしながら楽しむ場所ではないように見えた。パチンコは文化でも芸術でもないかもしれないけれど、映画館や書店を擁護する声があるように、パチンコ店だって守られても良いのではないか?仮に休業要請に反して営業を続けていたのが書店だった場合、「世論」は「休業できるようにしっかり補償しろ」となった気がする。営業を続けるパチンコ店の店名公表を求める市民、それに答える行政。なんだかおかしくないか?人によって、人生に欠かせないものは違う。心を休ませる「家」がなく、図書館が居場所の人もいるだろうし、映画を見てリフレッシュする人もいるだろう。週末には何軒もハシゴして倒れるまで酒を飲むのが生きがいの人もいるだろうし、パチンコが唯一の楽しみだったり、日常を忘れられる人だってきっといるだろう。私が暮らす社会には、そういう多様性を認める社会であってほしいと思う。そして社会がそうであるために、行政は、非科学的な政策なんて絶対にしちゃいけないと思うのだ。多くの人が人生に欠かせないもの、世の中を豊かにするために無くてはならないものだと考える文化芸術は「守る」対象として、人々から理解を得られづらい(かもしれない)酒やギャンブルを補償なしの休業の対象とする、そんなことがあったら社会に分断が生まれる。そして、酒やギャンブルを生業としたり、拠り所とする人たちの居場所が奪われる。それでいいんだろうか?

性風俗「本質的に不健全」 給付金裁判で国が真っ向反論 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル 記憶に新しい、この裁判。性風俗業が給付金の対象とならない理由として国側は「性風俗業は本質的に不健全。国民の理解が得られない」と主張したとのことだけど、(そもそも必要ない)不健全か健全かを国の尺度で図られ、不健全な産業は、事業を守るための十分な補償も得られない。「感染を拡大させるリスクがあるかどうか」で科学的に判断しろよ、国。そして国からお墨付きをもらった性風俗業は、今度は社会から差別されるんだよ。どんな生き方をしていても、正しく補償される社会になってほしい。営業するのに、働くのに、後ろ指さされない社会であってほしい。それが多くの人から理解を得られない仕事だったり店のあり方だったりしても、社会のためにならなくても、文化的でなくても芸術でなくても、千差万別の人が暮らすこの世の中に、それが「必要ない」なんて誰にも言えないんだよ。多様性を尊重するために、あらゆる生き方を肯定する社会であってほしい。そういうことが、コロナでどんどん崩されてきてるようでものすごく苦しい。