委ねる

zine作りました。と言って想像されるものとはちょっと違うかなりライトなものを作って(zineとは「自主制作出版物。特に個人的な表現を編んだ冊子や本のこと」ーBOOK DAYとやま10周年のチラシより=という意味ではちゃんとzineに該当するはずだ)、内容については反省するところが多々あるのだが(今回ばかりはかつての上司が言っていた「過去の自分の作品はすべて反省材料」ということばに共感した)、急いで書いて無理やり完成して一週間(「まだ文字校が!」「誤字脱字があるかもしれない!」「全体を読み返していない!」と二の足を踏んでいる私に対して石引パブリックの砂原さんは「そんなのいいんだよ!」と言った。それくらい勢いで押し切った制作だった)、これは、紙ならではの良さだなあと思うことがあり書き記しておく。ひとつは読みたいと声をかけてくれた人で、その方はリソグラフのスタジオをしている人なのだけど、zineが届いた日にちょうど印刷に来ていたお客さんにおすすめしてくれて、こんなことを言っていましたよと教えてくれたこと。たとえば私のブログをたまたま読んでいるときに来客があったとして、このブログ面白いよってスマホを手渡すことってそうそうないのではないか。もうひとつはブログやSNSのようにビュー数や簡単なリアクションといった反応がわからないこと。ブログやSNS、いわゆるウェブメディアは更新(公開)して24時間が勝負というか読まれるか読まれないかの一つの区切りだと思うのだけど、紙が手元にある状態から、人はいつどんな気分のときに読むのかわからない。わたしは読まれたかどうかわからないし、いいねやコメントで反応を得ることもできない。という状況に始めはドキドキして、といっても読みたいと声をかけてくれた人(それから勝手にお送りさせていただいた人もいます)の手元にしかないはずなのだが、落ち着かなかったのだけど、改めて考えてみるとなにかアクション(表現や発言)をしたときに、相手の反応(リアクション)を知ることができる、という状況に慣れすぎてしまっているのかなと思った。相手に委ねるしかないし時の流れに委ねるしかない、となってくると当初はドキドキしていたものがいい意味で誰かの反応というものがどうでも良くなってきて、そんなことよりも次はもっとちゃんとしたものを書きたい、はやく印刷して作りたいという気持ちに変わってくる。一年だか二年前に想像していたzineを作りたい!っていうのとはだいぶ形が変わってしまった初めてのzineづくりだったけど、とりあえず作る(今回いっしょにzineを作るワークショップに参加したサナちゃんとの合言葉は「とりあえず今日は完成させるのが目標!」だった)、とりあえず世の中に出す、そのあとは知らない!という経験をすることができてよかった。(カッコが多くて読みづらい)