日記

お風呂でわたしのバイブル、北山耕平の「月に映すあなたの一日―ネイティブ・アメリカンの364のことわざが示す今日を生きる指針」を読みながら、人よりも高くて、それゆえに日常生活で人よりも疲れやすくなったり心が振り回されたりする「アンテナ」を、薬の力でたたんでしまってほんとうに良いのかという気持ちになってきた。たしかに聴覚や視覚や嗅覚によってわたしにもたらされる情報は鋭くてキツくて(ひとり家にいるときは全ての音、たとえば空気清浄機の音、換気扇の音、テレビの音を遮断するし、寝ているとかのわずかな光にも耐えられない。音が何層にも重なっている音楽は一つ一つの音が分裂してそれぞれの情報として耳に届くし、汁椀に僅かに残った洗剤の香りが気になって何も食べられなかったりする。ここにあげたのはほんの一例だ)お医者さんから「薬がある」と言われたときにはすぐにアンテナ畳みたいでーす!ってなったんだけど、たぶんアンテナが高いからこそ得られた日々の感動とかもぜったいにあって、たとえば犬と山へ散歩に行くとまいかいいろんな音や匂いや光や色に心を揺さぶられる。子どもの頃から感受性が豊かだと言われたのはきっとそのためだったのだろうと30代になりようやく分かったのだが、その感受性の豊かさのもととなるものを成り立たせているものを簡単に手放してしまってもいいのかな。ちなみにわたし、カエルの鳴き声や川のせせらぎ、木が風に揺られる音はぜんぜん大丈夫なんだよね。できればいまの自分のままで環境も変えずに生きられたら一番いいのだけどどうしたものか。