日記

家族のことが大好きなのと自分の生き死にというのはほとんど関係がなく家族のこと大好きだけどいつでも死んでもいいという気持ちがずっとある。エリイちゃんは著書「はい、こんにちは」のなかで子どもの誕生を「私は完全なる死を産んでしまった」と書いていた。私が唯一、すぐに死ぬのはもったいないし無責任のような感じがすると思うようになったのは娘が生まれたからで、産んだからにはやはり独り立ちできるようになるまでは責任を持ちたいとか親心ながら思うのだがでもたぶん人によって責任の取り方、責任を持った行動みたいなのも変わってくるよねたとえばアマゾンに放り出されてもサバイブする力をつけさせるとか、映画「Captain Fantastic」でも人里離れた山奥で同じような教育がなされていたが、とにかく金を貯めて遺すことを子どもにとって責任を取ることだと考えている親もいるだろうし金を惜しまず高い水準の教育を受けさせることを親の責任だと思っているひともいるだろう。いつか「天気の子」を観た感想をブログに書いた(令和の子 - nov14b’s blog)。いま読み返すとけっこう恐ろしいことを書いているのだけどまあこのときの私はそんなことを思っていたのでしょう。このあいだコロラド先生ことHiroshi Makita Ph.D.氏のツイートがタイムラインにまわってきて、これまでさんざん日本しねとか日本滅びろとかいまの出生率じゃきついよねとか思ってはきたけれど(そもそも、こんな政治が長続きするはずがないのだ)実際に2050年には社会を保てなくなるみたいなこと突きつけられると自分はさておき子どもどうするって気持ちになって悶々と考えていた。で「天気の子」のブログに戻るのだが、じゃあ日本を保てなくなります問題と直面して私が心配するのは我が子のことではあるのだが、「よくもお父さんお母さん、私をこんな時代に産んでくれたな」とはやっぱり思わない。自分の子どもの人生で待ち受ける困難を想像すると胸が痛むが世の中予測困難なことがたくさんあるわけで(そんななか予測可能であった人口減少に対策を打ってこなかったのはしょうもない話だが)、どんな状況になってもまあその時代に生まれたものの宿命として(?)逞しく自分らしく生きていってくださいがせいぜい親ができることなのではないか。少なくともこんな時代に産みやがって親のクソ野郎と思われないように(思われてもいいけど)自由に育てたい。一方でいま自分が書いた「令和の子」を読んでうげーって思うのは「子どものためにより良い未来を作りたいなんておこがましい思いは一切なくて、その時代を生きる人たちがその時代を作れば良いんじゃないのかなあと今は思う。」ってところでいやそこはやっぱり責任を持った行動・選択をしていかないとならないんじゃないのと自分で自分にツッコミを入れた。こんなこと書いてるの書こうと思ったの、sigur rosの新曲「BLÓÐBERG」を聴いたのがきっかけで、sigur rosが最後に出したアルバムは「kveikur」だったが、たぶんわたし初めて聴いた「Með suð í eyrum við spilum endalaust」以上に衝撃というか心を動かされているめちゃくちゃ良くて、圧倒されたみたいなのはAURORAちゃんの「A different kind of human」を聴いた以来だと思う。話はあっちにいったりこっちに戻ってきたりで2050年日本国崩壊説をここ一週間(も経ってないか)考えていて、どうせ日本終わるんだし(っていうかもうエンディングの段階なのだろう)発達障害の診断がどうとか考えてないでもっとスケールの大きいことを考えてみたり書いたりしてみたいものだと思ったんだけど大も小であり小も大であるというか私が考えていること、私が悩んでいること、それが小さなことでもあり大きな問題でもあるのだ(かもしれない)という結論にいきつきました。流れることを意識していてもしていなくても流れ着く先は同じである、本当にそうなのかな。そうかもしれないけれど。発達障害の(ほぼ)専門医の先生から発達障害者は薬が効きすぎるか全く効かないかのどちらかであり酒もまた然りと聞いていて、あなたはお酒も飲めないということだしたぶんマリファナとか(なぜかマリファナ、と言われた)しない方がいいと思いますよと言われて思い当たる節があったのでCBDキャンディモなんとなく怖いっていうか遠慮していたんだけど夫から「シガロス聴きながらCBD(ということにこのブログのなかではしておきます)舐めたら最高にリラックスできると思うよ」と言われたから今晩はチャレンジしてみようかな〜!

 

追記。大切なことを書き忘れる自分(特に大切でもないのだが)。で、2050年日本国崩壊説のことをぼんやりと考えながら本を何も読む気がしなくてでも私はいつも文字を追い続けているから本棚を眺めていて久しぶりに手に取ったのは北山耕平の「月に映すあなたの一日―ネイティブ・アメリカンの364のことわざが示す今日を生きる指針」だった。小さいこととかより大きなことに目を向けようみたいな感じで選んだ地球や大地や未来のこと。ネイティブアメリカンは7世代先のことを考えて今を選択・行動しようと言っていたよさすがに7世代が無理でも、一世代、二世代先のことでさせ考えられていないのがいまの日本ではないだろうか。それで思い出したんだけど先週末に夫と娘と出掛けて、いかに社会が大人が作ったマナー、ルールで溢れているか、それに子どもが無理やり合わせなくてはならなくなっているのかというのを実感してなんか書きたいと思ってたけどとりあえず今日はおしまい。

 

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