日記

少し前にともだちが「大谷翔平になれるはずなんてないのに、大谷翔平になる努力もしていないのに、大谷翔平になれないことを落ち込んでいるような人生。理想が高すぎるのだろうか」みたいなことを書いているのを読んで、めちゃくちゃ共感して、たまに思い出してはそのことを考えている。先日、話の流れで「その日の楽しみとか、今日よかったなあって思うこととかないの?」と聞かれたときに即答できず、わたしってどうやって、というか何を生きがいとして生きているんだろう?と迷子になってしまいいろいろ考えていたけれど、たぶんこの「迷子」の原因は即答できなかったことにあり、いま同じことを聞かれたら本を読んだり文章を書いたり音楽を聞いたりたまに銭湯へ行って広い湯船に浸かったりゆっくり犬の散歩をしたりと答えられるであろう。わたしは頭がおかしいフリをしたいんじゃなくて、ただ相手に何を聞かれているのかわからなくなるときがある。で、ともだちの話。自分はいわゆる自己肯定感が低いのか、それともともだちが言うように自分自身に課したハードルや理想が高すぎるのだろうか、いつも「これでちゃんとできているかどうか」が不安で、それは家庭でもそうだし仕事でもそうで、はっきり言って達成感みたいなものを得たことがほとんどない。いやほとんどは言い過ぎかもしれないけど少なくともここ数年はない。ふと夫に「日頃、なにかうまくやれてよかったなっていうこととか、達成感を感じることってある?」と聞いてみたら「むすめちゃんが朝ちゃんと起きてぐずらずに遅刻せず登園できたときとか、午前中にウォーキングをできたときとか、よかったなって思うよ」と話していて、ああ、こうやって達成感とか日々の喜びとか、そういうものをみんな得るものなのだなと気づいた。Mastodonに少し書いたことだが、私は少し度を越した不安と自信のなさがあって、人の言葉を信用できない(言葉通りに受け取るわりに、心の底では人を信用していない)。仕事についても、会社員時代に上司から評価されたり社内で表彰されたことがあったり、取引先から褒められたりといったことはあったのだが、それが実感として満足感や達成感、自己肯定感につながらず、どうしてなんだろうってずっと疑問に思っていた。自分に対するハードルが高すぎるのか?エベレストに登ってやっと達成感を得られるような不感症なのか?とにかく何かが変でいつも自信がない。そんな疑問、疑問というか可能であれば原因を見つけて直していきたいことを心療内科の医師に話してみたところ、「子どものころ、あまり褒められてこなかったんじゃない?それか、相手は褒めているつもりだったとしても、あなたは褒められているように感じなかったとか(=コミュニケーションがうまくいかなかった)。」と言われて面食らった。というのもわたしは母の育児を絶対的に信用しているところがあり、自分が「褒められなかった」ことなんて想像したこともなかったから。はじめ、わたしは父とのコミュニケーションのことを言われているのだろうかと思ったけれど、夫にその話をしてみたところ、「たしかに、お母さんから褒められる機会が少なかったのかもね」と側から見ていて感じたことを教えてくれた。たとえ生育環境になんらかの問題があったとて、いま育てられているわけではない私にとっては過去のことであり、いま対応していくほかない。先生に聞けば、「ささやかなことも「できた」と自分で認めてあげること。それができなければ、旦那さんや私でも、他者に話してがんばっているね、よくできたねと認めてもらうこと。そういう訓練を地道に続けること」ということだった。フリーランスになって3年目になるが、「ギャラが振り込まれるというのはあなたのことを評価しているということ。さらに続けて仕事の依頼がくるのであれば、あなたは自信を持っていい」と言われて、私が「評価されているのだと認識した方がいいんですね」と返したら「そうじゃなくて、評価されているのは事実なのだから、素直に受け止めること」と念を押された。素直に受け止めること。そんな話を夫にしたら、「自分ではわからなくて不安だから、いつもふわふわしていて、俺に反応を求めるんだね」と言われたから、「これは訓練だから、しばらくのあいだは私が反応を求めていたら褒めてほしい」と伝えた。もちろん自分でも自信をつけていかなきゃいけないが、いま、私は人の力を借りることができる。