誰にでも伝わるやさしい言葉を使うのは難しい。「銀河の死なない子供たちへ」を読んで、感想を書いているときに思った。この本で扱われているのは紛れもなく「生」や「死」、「愛」についてなのだが、その極めて普遍的で一般的なテーマについて語ろうとしたときに、自分から出てくる言葉全てが陳腐で、もはや語ることさえ滑稽に感じた。翻って、例えばフェミニズムについて語るときに、その分野の専門的な言葉は確かに語ることを助けてくれるかも知れないけれど、専門用語を使うことで発言が「それなり」に見えたり、もしかするとかっこよく見える、そんな自分に無意識のうちに酔いしれていることはないか。ジェンター、ミソジニー、男性性、女性性、ホモソーシャル、ミサンドリー、専門用語を使うことで、それらを知らない誰かを排除してはいないか。賢そうに見えるかどうか、知識自慢ができるかどうかは全くもって重要ではない。誰にでも分かるもの、やさしい言葉で表現されたものこそ、本当はすごく高度なテクニックを要するのだ。私は合田誠好きじゃないけど、このツイートがタイムラインに流れてきて、色々思うことがあってとりあえずブログに残しておくことにした。
展覧会は見てません。ハイコンテキストへの批判が中心ですねえ。まあ現代美術業界はたまに外部から抜本的批判を受けるのも良いのかもしれません。翻って自分はハイコンテキストなのか、わかりやすさの罪なのか…→上野千鶴子評「ムズムズする」フェミニズムズ/FEMINISMS展 https://t.co/HrmkC6fSwz
— 会田誠 (@makotoaida) 2022年1月25日
と、ここで触れられている記事。個人的には上野千鶴子もいいんだけど、「今」のフェミニストがこの展覧会をどのように批評するのかも読んでみたい。