ジャンプの練習

娘がジャンプを練習しているのを見るまで、ヒトは生まれつきジャンプができる生き物じゃないなんて思っていなかった。立てるようになれば、歩けるようになれば、当たり前に飛べるようにもなると思っていたのだけど、実際は歩き始めてからもステップがあり、足元を見ながら歩いていたのが、だんだん足元を見なくとも上手に歩けるようになる。「ぴょん」とか「じゃんぷ」とか掛け声をするとは飛ぼうとする娘は、上手く弾みをつけられなかったり着地がうまくいかずに後ろにひっくり返りそうになったりしている。「子どもとの生活でよく思うのはパッと出来るようになることなんてなくて、ちょっとずつの繰り返しの中に生まれる変化が繋がって、歩いたり話したりができるようになったり、誰かに優しくできたり、ありがとうやごめんねを言えるようになるのだと感じています」とは私が毎月購読している『母の友』で連載中の高橋和也さんの言葉で、「ちょっとずつの繰り返しの中に生まれる変化」を目の当たりにできるのが子育ての醍醐味のように感じている。ツイッターにも少し書いたのだけど、子どもは晴れた日も雨の日も、昼でも夜でも外に出て遊びたがる。雨が降っているときにベランダに出たがる子を「雨だからやめておこうよ」と止めたとき、「雨だからやめておこう」なんてなんの説得力もない言葉だと我ながら思った。雨に濡れて体を冷やして風邪をひいてほしくないとか、そもそも濡れたあとの着替えが面倒だとか、大人の都合でそれなりの理由はもちろんあるのだけど、それが子どもの遊びたい気持ちを止められる十分な理由にはならないと思い、それ以降、よっぽどの土砂降りでない限りは雨でも風が強くても、遊べるときは外で遊ぶことにした。昨日は夜、夕食も終えて日が沈んだ後に外に出たがっていた子。「濡れちゃうけど、まあいいよ〜」と言ってベランダに出たら、細かいシャワーみたいな優しい雨のなか、楽しそうに走ったり夜の雨の風景を眺めたりして楽しんでいた。その様子が見られてよかった。今日は久しぶりに保育園に早めにお迎えに行って、ゆっくり近所の公園をお散歩したり児童館で遊んだりした。子どもは興味の赴くままに立ち止まったりしゃがんだりゆっくり観察したりしていて、そのペースにあわせて過ごす時間は絶対に自分だけでは体験できないもので、たまにはこういう時間も大切だと思った。高校生の頃、オープンキャンパスに行くため親戚を訪ねて東京へ行ったときに、おじさんが「東京はね、一つ電車を逃してもすぐにまた次の電車が来るんだよ。便利だけどね、電車を待つ時間は立ち止まって休む時間でもあるからね、疲れちゃうんだよ」と言っていたのが印象に残っている。一、二ヶ月ぶりに夕方を子どもと過ごし、こんな時間も大切だよな、もっと増やしていきたいと思ったのも束の間、17時を過ぎても家に帰りたがらない子にこちらが疲れてしまい、つくづく自分勝手な自分に何だか笑えた。