深刻に受け止めるでもなく軽く流すでもなく、ただちゃんと聞いてくれる人

まわりの人から冗談っぽく「アスペっぽい」と言われることはこれまで何度かあったのだけどそれって過集中、こだわりの強さのことをアスペって言ってるだけだよねくらいの気持ちでずっと聞き流していたこれまで。失業してフリーになり妊娠出産育児のため家で過ごす時間が多くなると同時に夫と過ごす時間が増え、明らかに私が原因の夫婦喧嘩(の激化)が気になるようになってきた。どうやら私の融通のきかなさや「正しさ」への執着、言葉へのこだわりがいわゆる「一般的」のレベルを超えているらしく、自分と向き合うなかで発達障害、そして自閉スペクトラム症ASD)に行き着いた。ASDの症状(特徴)を知るなかで、もしかしたらこれまでの生きづらさの原因はここにあったのではと霧に覆われた視界が少しずつ開けてくるような感じがした。自分の特性を正しく理解した上で、もし対策ができるのであれば夫婦喧嘩は減らしたいし、今後子と接する上で私の特性ゆえに娘を困らせるようなことは防ぎたい。なにより、自分をもっと楽にしたい。時間はたくさんあるし、ひとまず専門機関に相談してみようと思いヒットしたのが県の発達障害支援センターだった。初回は5月、そしてひと月経った先日に担当の支援員さん(肩書きうろ覚え)によるカウンセリングを受けた結果、「病院ではないので診断を下すことはできないのだけど」と前置きした上で、「病院で受診したらASDの傾向が強いですねと言われるでしょうね」ということだった。私は当初、病院で診断を受けたいと思っていたのだけど(べつに自分が発達障害だと周囲に公表するつもりはないけれど、診断がないと「自分でそう言ってるだけじゃん」とか「気にしすぎ」とか言われそうで嫌だった)、現状、診断があっても私にメリットはなく(デメリットも特にないのだが)、どうでもよくなって診断は受けないことにした(というか、たぶんASDといわれて変にホッとしたというか)。私の場合はASDの特性のなかでも特に融通のきかなさと不安の強さが傾向として現れやすいようで、それについて、例えば直近の夫婦喧嘩の原因を例に挙げた上で、支援員さんは私が工夫できることなどをカジュアルにアドバイスしてくれた。専門の知識を持つ人からのアドバイスで私がなるほどなあと思ったのが「たとえ私がASDだったとして、夫が私に合わせて全てを我慢する必要はない」ということで、私は私で、自分の特性を理解した上でぐっと我慢しないといけないところがあると言われてはっとした。発達障害という言葉と出合う以前から、どこかで「私はこういうタチなんだから理解してよ」と思ってしまうところは多々あり、でもそこは夫婦とはいえ他人同士、結婚7年目だか8年目だかももう忘れてしまったけれど、まだ互いに譲り合ったり受け流したり寄り添ったりしないといけないところはあるのだ。という発達障害の話は(長くなったけど)さておき、私がすごいなあと思ったのはその支援員さんのカウンセリングで。生い立ちから現在に至るまでの人生のあゆみや、これまでの困難、生きづらさを語る上で家族のこと、いまも抱えている苦しさみたいなものを具体的に話す機会があったのだけど、支援員さんは私の話を聞いて「大変でしたね」とか「つらかったですね」などと下手に慰めたり同情することもしなければ「それはお父さんが悪いですよ」などと共感することもなく、ただフラットに聞いてただずっと聞いていてくれた。深刻に受け止めるでもなく軽く流すでもなく、ただちゃんと聞いてくれるというのが私にはすごくありがたかった。発達障害の話とはたぶん逸れていたのだけど相手が心理士さんだったということもありべらべらと身の上話をしてしまい、そのなかで過去のことを根に持っていまでも複雑な気持ちを抱えている自分のことが間違っているんじゃないか、父から他愛もない連絡がきて動悸がしたり落ち込んだりするのはおかしいんじゃないかと思うという話をしたときに「自分の感情を否定しなくてもいいんじゃないですか。お父さんがいまどんなつもりかはわからないけど、過去に振り回されたことで大変な思いをして、それが忘れられなくて今の感情があるあなたの気持ちは、仕方ないものだと思いますよ」と言ってもらい思わず涙が溢れた。何が書きたかったのかもうわからなくなってしまったけどたぶん私は記録魔で、2022年にこういうことがあったこと、こういう言葉に励まされたことをここに残しておきたかった。終わり。