「人の胸に届くような そんな歌がつくれたら」

自分の子どもが生まれる前は子どもに興味がなかった。子どものことを見てもどこがかわいいのかも分からなかったし外出先で子どもが騒いでいると疎ましくさえ思った。子どもが欲しいと思ったことは一度もなかった。子どもが何かの事件に巻き込まれて命を落とすようなニュースを見ても今ほど心を痛めなかったと思う。世の中の子どもだけじゃない、自分のことも、割とどうでもよかった。世界が終わるとしても仕方ないというか、終わるときはどう争っても終わるので足掻いても仕方がないという気持ち。戦争なんて絶対嫌だけど、戦争になったとしても粛々と生きていくしかないという諦め。それが、自分の子どもが生まれてから、世界が悪い方へと向かうことがとてつもなく恐ろしくなってしまった。自分だけが戦争に巻き込まれるのならまだ良いのだけど、子どもが生きる上で恐怖に晒されたり何か制限を受けたり不本意に離れ離れになったりすることが耐えられない。世界がより良い方向へ向かうことを大前提として私は妊娠を受け入れ出産したのだった。子どもを作るのが怖かった。こんな世の中に、自分よりも大切な新たな命を生み出すことが怖かった。妊娠中だった頃のブログにこんなことを書いていた。令和の子 - nov14b’s blogいま読み返すと、全くもって自分本位。生まれてくる子どものことなんて一ミリも考えていないじゃないかと思う。こんなことだから反出生主義の人たちから脳内お花畑と叩かれるのではないか。いつか読んだ、きゃりーぱみゅぱみゅのweb連載記事を思い出す。(引用するにあたり改行は長くなるのでカットした)

一方の私は、「これからもオレと一緒にいてね♥」「いや人はいつ死ぬかわからないし、いずれみんな死ぬから」そう言われたらこう返す、ロマンチックの欠片もない現実主義者なので、結婚に対してあまり期待感というかキラキラしたものを感じたことがないし、この28年間一回も結婚しかけたことがありません。まあでも今は、夫婦別姓とか別居婚とか、結婚の形がめっちゃ変わってきてますからね。昔ながらの結婚一択というわけではありません。ただ、そこでひとつ思うのは、子どもが生まれたら一番子どもを優先したいということです。やっぱり家庭環境が人を作ると思うので、私は子どものことを第一に暮らしていきたい。しかしそんな気持ちが強すぎるためなのか、「私ももちろん将来的に生みたい気持ちはあるんだけど、コロナとか自然災害とか異常気象とか人口減少でいろんな影響が出ている世の中で、果たして子どもを生んでいいんだろうか…。私がいなくなったあとのことを考えると不安だよ…」これを、メンバーがほぼほぼお母さんになっていて、会話もほぼほぼ子どもの話だった女子会で言ったら大ブーイングで、誰も共感してくれませんでした。そんな場でもつい、いつもの現実主義が出てしまったんですね。「わかるわ~」共感してくれる人は一人だけでした。「結婚とかだるい」と言っているIさんです。「わかるわ~、今おかしいもん地球が。子孫も残せねーよこんな状況で」って禿同してくれたIさんもまた超現実主義者です。

hanako.tokyo

何を読んでも、だいたい反出生主義、とまではいかないけれど子どもを「生まない」ことを選んだ人の論調はこんな感じで、子どもを生むことを選んだ女性(なぜか男性の影が薄い)は世界が終わりつつあることを全く考慮に入れずに新たな命を誕生させる、その命に責任を持たない脳内お花畑女で、対する自分は「超現実主義者」という。人類は悪、子どもを生まないほうがエコ。地球は人類のない世界に戻った方が良い。もしかしたらそうなのかも知れない。私が引っかかるのは、自分の主張を正当化するために生んだ人を引き合いに出すことだ。これはフェミニスト界で有名な笛美さんの本「ぜんぶ運命だったんかい」を読んだときにも感じた。苦手な文体だったので全部読むことができなかったのだけど彼女の本のなかでは、いつも「専業主婦」や「結婚した女」や「ワーキングママ」がフェミニストとして生きることを決めた彼女の引き合いに出される。きゃりーぱみゅぱみゅの主張も同じだ。「コロナとか自然災害とか異常気象とか人口減少でいろんな影響が出ている世の中で、果たして子どもを生んでいいんだろうか」という超現実主義者の私と、それでも(というか何も考えずに)生んじゃった女性たち。私は、勝手に引き合いに出してくれるなよと思う。人と比べなくても自分の選択を正しいと言い切ってみてほしい。母親が勝手に引き合いに出されるとき、私(たち)はいつも考えが浅かったり判断力がなかったりするように表現される。百歩譲って私が脳内お花畑のバカだったとしよう。現実にそうなのかも知れない。だけど、そんな私でも生んで後悔しない世の中であってほしい。コロナ禍に子どもが生まれて一年半、安倍が殺され世の中がどうもおかしな方向に向かっているように感じる。子どもという自分にとって最大の弱点ができた今、私にとって世界が悪い方へ向かうことが恐ろしくてたまらない。子どものためを考えると、やっぱり生まない方がよかったのだろうか。最近はそんなことを考えるときさえある。でも、自分本位で生んだのなら自分本位で生んだなりの責任の取り方があるのではないか。いや、このまま自分本位を貫けばいいのではないか。子どもが生まれてからこれまで感じたことのなかった感情、経験。それらを超現実主義者たちに否定されたらたまらない。ハンバートハンバートの「虎」。「人の胸に届くような そんな歌がつくれたら」のところでいつも泣く。

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