自己実現

きのう取材ではなしを聞いていて、何かの分野で頑張ったり活躍したりしている人への質問として、「尊敬する人」とか「影響を受けた人」、それから「将来どんなことをしてみたいか」、「どんな自分になりたいか」を聞くのってわりとよくあることだと思うんだけど、いつも通りにその質問に対してなんの疑問も抱かずに聞いてみたら「尊敬する人とか憧れの人はあえて作らないようにしています」、「特になりたい自分というのもありません」という答えが返ってきて面白いなあと思った。わたしと4歳しか年齢が変わらない人だったけど、わたしが新卒一括採用のスキームに乗って就活していた頃って、とにかく自己分析して、御社に入ったらゆくゆくはどんな分野で貢献できる人間になりたいですとか、こんな仕事を通じて自己実現していきたいですとか、どんなキャリアを思い描いているかとか、そういうことを考えろってひたすら言われ続けていて。仕事で自己実現しなきゃいけないみたいなプレッシャーが社会から非常に強くかけられていたと思うし、それは子どもたちが「将来の夢」を聞かれて「将来つきたい職業」を答えてしまうことと少し似ているような気がするのだけど、改めて考えてみたら、そもそも「自己実現」ってなんやねんっていう。なにか仕事を通じて、社会に貢献をすることが自己実現であるみたいな風潮に無意識のうちに乗ってしまっていたというか、別になりたい自分がなくってもやってみたいことがなくっても作りたい未来がなくても、それがだめということは決してなく、またやる気がないわけでもなく、堂々と生きていて良いんだよね。将来就きたい職業とかないっすわ、安定した仕事で休みもしっかりあってお金を心配することがなければそれで、みたいなことを言う人を安定志向だとか消極的な理由で仕事を選ぶなとか言ったりする嫌な大人がいるけれど、なにかの分野で無理して輝こうとしなくていいというか、当たり前だけど仕事が全てではないし、そういう人も世の中にはいるしもちろんそれを否定するわけでもないのだけど、プライベートが充実しているから仕事はなんでもオッケーでーす!っていうのもあっていいよねって。っていうか尊敬する人とかなりたい自分とか、そういう思いが強すぎると、それが叶わなかったときの落胆というのも当然あるわけで、でもそもそも私は私自身であるのだから、私でさえなることができない誰かに無理してなれなくてもいい。ちょうど最近、ちょっと疲れていたこともありなんであんなに書く仕事にこだわっていたんだっけと思っていて、もちろん書くことは好きだけど、書くことを仕事にしても書きたいことを仕事にできているわけでもないというか、もはや終わりのない禅問答のようでもあり、完全に仕事に対して満足するというのは難しいのではと思った。し、仕事で自己実現をするのはかなり高度なことなのだと思うに至る。何よりも優先して「自己実現」をするべきだとか私もそう思っていた時期があったけれど、改めて自己実現とは何かを調べてみたら、まず生理的欲求や安全への欲求、社会的欲求などが満たされた上での自己実現なのだった。「自己実現/人間の欲求のうち最も高度であり、同時に最も人間的な欲求として、自己の内面的欲求を社会生活において実現すること。アメリカの心理学者 A.マズローは 1954年に欲求5段階説を発表した。人間には下位から順に生理的欲求、安全への欲求、社会的欲求、自尊欲求、自己実現欲求があり、下位の欲求が充足されると、より上位の欲求が人間の行動動機となるとした。自己実現欲求は、人間の物質的欲求が充足されたあとに発現する欲求である。したがって豊かな社会においては,この自己実現欲求が人間の重要な行動動機であると考えられている。」(自己実現とは - コトバンク