日記

バイトを始めて三ヶ月目にもなると常連のお客さんたちの顔もだんだん覚えてきて、このお客さんははじめに薬を飲むからお茶と一緒に水も出すとか、七味唐辛子を必ず持っていくとか、しいたけが苦手とか、注文を聞く前から「鴨治部煮そばだな」とか、だいたいわかってくる。初めて見たとき「村上春樹に似てる!」と思ったお客さんが久しぶりに来店した。だいたい私は人の顔や名前を覚えるのが苦手なのでちょっと小綺麗で紳士的なおじさんはたいてい村上春樹に見えるのだけど、この人はぜったい村上春樹に似ていると思っている。村上春樹に似ているお客さんは料理を構成する食材の一つひとつを味わうように、ゆっくりと食事する。今日もふと目をやると蕎麦を箸で目線の高さまで持ち上げ麺の一本一本を確かめるように眺めていた。何かを観察する眼差し、何か難しいことを考えるような表情、エッセイを書いていそうな雰囲気がある。休憩のとき、一緒に働いている人に「あの常連さん、村上春樹に似ていると思うんですけど.....」と話したら顔が思い出せずにスマホで調べ「似とらんわ!」と一言。もう一人の先輩も「似とらんやろ」と笑って「あの人、料理人やよ」と教えてくれた。私が村上春樹に似ていると思い込んで、勝手に脳内で文筆家に仕立て上げていただけだった。