日記

何事も納得したい理解したいと思う気持ちが強く、発達障害の診断についても去年「まあおそらくそうでしょう」と言われたままになっているのが気になっていて、結局、自分の特性に納得するためという名目で診断を受ける方向へ進んでいるのだが、ここに来て、非常に気分が落ち込むようになってきた。たとえば、私の特性のせいでコミュニケーションを取るのがときに難しく感じる、みたいなことを夫から言われたとして、発達障害がなければいつも円満になかよくしていることができるのだろうか、発達障害がある私のどこが良くて結婚したのだろうか、はたまた、薬を飲むことで問題となっている特性が和らぐとして、その特性がなくなった私は私なのだろうか、いまのままの私ではいけないのだろうか、という疑問、そして落胆。加えて実感する障害という言葉の重さ。発達障害について語るときによく言われているのは「ADHD(注意欠如・多動症)には薬があるけど、ASD自閉スペクトラム症)は薬がないから治せない」ということで、もちろん私の心がけや努力よって「周囲の人に迷惑をかけない」ことはできるのだけど、それはもともとの特性を抱えた上で、心がけや努力を常に必要とされる状態である。疲れる。これだけ騒ぎ立てて診断つかなかったらそれはそれで恥ずかしいような気もするけれど。