日記

石川・富山・福井の北陸三県がすっぽりとおさまる広大な面積を有する新潟県は東京に近い順に上越中越下越とエリア分けがされており、私の生まれ故郷であり県庁所在地でもある新潟市下越地方にあるのだが、一口に下越といっても新潟市を含め8の市町があるほどまあ広い。私の実家は平成19年の政令指定都市への移行以前も新潟市にあったが、万代島と呼ばれる新潟市中心部や新潟駅へ行くにも車で20、30分はかかる。どこへ行くにも移動、移動、移動。あくまで私の感覚だが、新潟県民は移動に慣れている。帰省をするたびに新潟市のはずれにあるワイナリー・カーブドッチへ遊びに行くのだが、カーブドッチまで車でだいたい1時間はかかる。どこへ行くにも遠いし車でアクセスするのが一般的なので、たった1時間程度の運転は苦にならない。翻って現在私が生活の拠点を置いている石川県金沢市。駅まで車で5分10分、自転車で街なかへ遊びにいけるような距離に住んでいると、たった片道15分のパン屋さんへ行くことさえ遠く感じてしまうことが少なくない。たとえば車で加賀温泉郷のひとつ山中温泉へ行くとなると、金沢市を出発地として、野々市市白山市小松市加賀市と5つの市をまたぐことになる。実家からカーブドッチへ行くのと変わらない距離だが、とても遠く感じる。自宅から半径15km圏内に何でも揃い、そのなかで生活するのはすごく楽。ラクなんだけど、ラクに慣れすぎてたかが片道1時間を「遠い」と感じてしまうような自分にはなりたくない。

旅の数日前、くまのプーさんの実写版と言われる映画「プーと大人になった僕」を観た。大人に乗ったクリストファーロビンと汽車に乗り、車窓の外を眺め、見えたものをひたすら呟くプー。「人」、「馬」、「人」、「人」、「家」。同じことをしてみたくて上越妙高駅から在来線で越後湯沢駅へ向かう道中、じっと窓の外を見た。田んぼ、工場、田んぼ、田んぼ、田んぼ、家家家家家・・・・・。新幹線に乗って東京へ行くとき、大宮あたりから窓の外に見えるマンションの数が一気に増えて、その家の数、家から連想される人間の数、人生の数に圧倒されていつも泣きそうになる。それは人間の数によるものだと思っていたけれど、今回、田んぼのなかに点在する家々を眺めながら同じように胸が締め付けられるような気持ちになった。みんなここで生きて、生活している。

一泊二日の一人旅から帰ってきて、しばらく休みたいと思った。なんだか身体の節々が痛いし、風邪も引いた。当たり前だけど、移動は疲れるのだ。片道4時間かけて重たい荷物を担いで寒波により急激に気温が下がった雪国へ行き、初冠雪を観測して、帰りはさらに重量の増えたリュックに肩を圧迫されながら行きと同じように4時間かけて金沢まで戻る。誰かと一緒の旅と比べて、話し相手もいないし、何かを味わって美味しいねって頬を緩めることもない(思えば今回は初めてとなる夕食付きの一人旅だった)。楽しいというよりもどこか修行のよう。目的地を目指し、到着し、いつもとは違う空気を吸って、何かを感じて翌日にはすぐ帰る。何かを感じたといっても大したものではなくて、疲れたとか、今度は夫を連れて来たいとかそんなようなものなのだけど、完全に一人の状態になったときに、自分が何を見たいか、何に心を動かすか、何を好きと思うか、自分はどうやって一日を過ごすのか、交通手段は何を選んで、どこで立ち止まり、何を諦め何を諦められないのかを確認するような旅であった。もうすぐ3歳になる可愛い娘や夫がいながら「自分の誕生日を一人で過ごしたい」と言うのは理解できない年長者も少なくないようで、誕生日はもとより、日常であっても「一人になりたい」「一人の時間が欲しい」という私を不思議に思う人もいる。だけど私には一人の時間が必要だし、一人の時間を持つことはネガティブなことではない。完全に一人のとき、私は孤独を感じない。家族以外にも大切なものがあるからこそ、家族や、家族との時間を大切にできるというのはあると思う。多少(体力的に)無理をしてもお金がかかっても、疲れたとしても、子どもを優先するでも家族を優先するでもない自分ありきの時間を過ごすことは、自分の心を守るために大切だと思っているから。

 

Mission: Impossible' Looks to Retain #1 Position Over Disney's 'Christopher  Robin' - Box Office Mojo