日記

このあいだ、犬の散歩をしていると道端に写真のようなものを見つけた。近づいてよく見てみると、紙焼きした写真よりもずいぶん薄っぺらい。胎内を写したエコー写真だった。エコー写真が道端に捨てられている理由をいろいろと想像して、あまりポジティブな理由ではないかもしれないと思い拾い上げず遠目に見るだけでその場を離れたが、しばらく犬と歩いてふたたび同じ道を戻ってきたときに思い切って手に取ってみた。そこには「SUZU SOUGOU」という病院名を表す文字と10年前の夏の日付が書かれており、妊娠初期と思われる小さな小さな胎児の姿が映っていた。近辺には二、三枚、同じ病院で撮影されたエコー写真が落ちていて、なぜこんなところに遠く離れた珠洲市総合病院で撮影されたものが、と不思議に思ったのだけど、近くにゴミ処理場があり、震災以降県内外から応援に駆けつけているゴミ収集車の出入りがあることを思い出した。もしかしたら災害廃棄物かもしれない。10年前に生まれたであろう命が今も健やかであること、そしてこのエコー写真を子どもが生まれてからも大切にしていた持ち主の無事を願った。そんな日の夜、珠洲に暮らす知人から久しぶりにメッセージが届いた。話によれば、しばらく金沢で生活をすることにしたらしい。いつかフェミニズムに関するお気に入りの本を10、20冊ほど貸したことがあり、年末の大掃除で私に返すためにまとめていたものの、地震で家の中に取り残されたままになってしまったらしい。そのことを申し訳なく思って、わざわざ私に連絡をしてくれたのだ。実は震災から数日経った頃、あの本たちはどうなっただろうと気になったことがあった。心の中で、たぶんダメだろうということはわかっていた。彼女に渡していた本は、私が集めた中でも特に大切にしていたフェミニズム本で、どれもずっとそばに置いておきたいと思っていた。けれどほとんどのタイトルが思い出せない。また手に入れようとも、何の本が失われてしまったかさえ分からなくなってしまったのだ。この期に及んで本のことを心配する自分に嫌気がさしたが、彼女から連絡がきたときに、本がここにあるかどうかは問題ではないと思った。どの本も、私の血となり肉となっている。タイトルを思い出せなくても、モノとしてここに残っていなくてももう大丈夫だと、本当にそう思ったのだ。無事でいてくれてありがとう。